2012年12月11日 (火)

雑誌『一個人』ブログ

更新しました。
「400年の勘三郎」。
18世の死去に思う初代勘三郎の事ども。
http://www.ikkojin.net/blog/blog15/400.html

ちなみに勘三郎の名跡は400年まったく途切れなかったわけではないので、蛇足ながら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月16日 (火)

住まいのミュージアム・大阪くらしの今昔館

に、やっと行って来ました。

江戸時代の大阪の町の様子や、明治大正昭和戦後の大阪の様子、昭和中期くらいまでの生活用品などがそれぞれの展示室でディスプレイされていてとってもバブルな頃の企画らしく凝った演出が施されています。

P1010653

江戸時代の大阪、大坂町三丁目の町並みを再現。風呂屋とか、意外と狭いので新鮮な驚き。江戸の湯屋のイメージとは違うんですね。裏長屋もしっかり作り込まれています。

P1010813

佐賀藩蔵屋敷の再現模型もありました。

長屋塀がぐるりと続き、堂島川からそのまま屋敷内に水路が延びて舟の出入りができます。年貢米や各種物産の出し入れでさぞや賑わった事でしょうね。

現在の大阪府立中之島図書館あたりからの目線で写真撮ってみました。

同じ目線で現在の情景を撮ると、こんな感じ。

Img_2338_2

裁判所の趣きに欠ける建物が威圧感を放っています。

話が逸れましたが、今昔館、とにかく面白くて楽しいです。あと、関連資料や書籍の閲覧施設を強化してくれたら言うことなしかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月28日 (土)

「豊臣期大坂図屏風」(5)

その四。

高麗橋(秀吉が大坂城の外堀の機能を持たせた東横堀川に架けた橋)の上の掘っ立て小屋の中で銀と銭の両替をしている商人がいるなぁ…。城での商売で銀決済で売掛金を回収した商人たちがここで両替して高麗橋の向こうの町屋で使うのかな。たぶん町屋の中でも両替商はいたんだろうけど、いち早く客をつかまえる為に橋の上にまで出張って来て商売してたんだろうか。逞しいねぇ(笑)。

その下、橋の西詰では女性がふたり、川の水を汲んでいる。図録の説明では地下水が塩分を含むため飲用水を川に依存した、とあるけど、それはそうかも知れないがこの画ではその上に「うどん屋」さんが描かれてるんだよね(笑)。これって、うどん用の水じゃないかな。今でも讃岐うどんが水を大量に必要としてるのに夏の渇水で危ない、なんてよくニュースで流れてるもんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月26日 (木)

「豊臣期大坂図屏風」(4)

その参。

馬場?で馬の乗馬練習をしている男たち、鞍を乗せない裸馬状態で訓練しているのは、戦場での突発事態を想定してるんだろうか。それにしても、本人も褌一本で乗ってるわけで、尻も内股も相当鍛えて皮膚が厚くなってないとこういうやり方は無理だろうなぁ。

その上方に描かれた武家屋敷は、屋根の一部がポカッと蔀戸方式で上に開くようになっている。この時代から天窓やサンルームの発想ってあったんだね。

秀吉御座船「鳳凰丸」かといわれる屋形船、屋上の鳳凰が船の後方を向いている。なにか呪術的な意味でもあるんだろうか。普通なら前方を向くように据え付けそうなものだけど。そういえば、屋形の壁面を埋める黒地に浮き立つ白い鷺たちも、ことごとく後ろを向いているぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月25日 (水)

「豊臣期大坂図屏風」(3)

極楽橋を渡ろうとしている男たちの内、
ひとりはアワビの載った盆を捧げているけど、
もうひとりが持っている藁苞のようなものは何だろう…。
納豆かな…。
この頃の大阪人は納豆嫌いじゃなかったのかな(笑)。

調べてみると、納豆とアワビはともに緑内障・白内障予防の効果があるらしい。
誰か城内の貴人に目の健康に不安のある人がいたのかも知れないね。
『医学天正記』を見ると「眼目」の項に「若君様左之眼甚赤又黒白之門不分明」云々、という記述があるから、眼病を患う秀頼のための食事療法の食材の可能性も考えられるね。

ところで、手ぶらの男は肩衣をつけているから上級武士かな。
お盆を捧げるふたりを先導する上司というところか。
お盆のふたりは、アワビ男は袴をはいてるけど丸腰、納豆男は着流しだけど脇差はつけてるなぁ。
あれ?肩衣男も無腰だぞ。
服装は比較的自由だったのかね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月22日 (日)

「豊臣期大坂図屏風」(2)

展示を見ながら考えた事その壱。

「天守閣の北西の屋敷の屋根の上に防水桶があるなぁ…それもふたつも…」
「江戸時代も防水桶は酒樽を転用したりしたらしいから、この防水桶は京の五条坊門西洞院の柳酒を詰めた柳樽を転用したのかもなぁ…だったらしばらくは甘い香りがしてたんだろうなぁ…」
「待てよ、北西という事は米蔵かな、だとするとやっぱり大切な兵粮は火の用心してたんだなぁ…」
「天守閣にはシャチホコが無くて、櫓門や櫓にはあるなぁ…」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年11月20日 (金)

「豊臣期大坂図屏風」(1)

18日は曇天の下、大阪城へ。

Resize0508

↑「風雲!大阪城」的画像にて。

Resize0520

エッゲンベルク城で2006年に確認された「豊臣期大坂図屏風」の特別展を、ようやく観る事ができました。
小学生の遠足団体や大陸の人たちがうるさい中でしたが、3Fで展示されていた当該のブツには、あまりそういう連中は興味も無く通り過ぎるので、ゆっくり静かに観られてラッキー(笑)。
それにしても見事のひと言です。先日BSでこの図屏風の紹介番組を観た折りも人々の生き生きとした動きに見入りましたが、複製とはいえ現物大のものを観るとその思いも新たになります。特に、http://www.osakacastle.net/exhibition/special.html#osakazuで観られる図屏風の一部の中央右寄り下、極楽橋は、秀吉死後に奉行たちが二階の望楼で打ち合わせをした事もあるとの事で、その窓を思わず覗き込んでみたり。

Resize0514

現在の極楽橋。位置も様子も変わっています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月27日 (火)

「道教の美術」

土曜日、天王寺の大阪市立美術館で標題の特別展を観て来ました。

日曜までが会期だったので駆け込み客が多いかな、と心配もチラリとしていたのですが、これがまた結構なすきっぷり(笑)。

第1~3まである会場は広く、展示物も非常に多くて見終わった後はヘトヘトになるほどでしたが、風水で墓相などを解説する『玉髄真経』や岩佐又兵衛の筆による『老子出関図』などなど、結構な収穫に恵まれる事ができてラッキー。中でも王義之の筆蹟は、どういう書体でも非常に美しく、なおかつ文字として「内容を伝える」という機能を完璧に果たしているという当たり前の事に感嘆。なんだか訳の分からない筆勢で書いた文字らしき「芸術」などより、内に籠もったエネルギーが1700年経っても衰えない義之の書のパワーこそがさらに何千年も先まで残るものなのでしょう。

それからつまらない事ですが、会場には多くの道教思想による塑像・彫像もありました。

大体いずれも丸い大きな顔にでっぷりと張り出した腹、短い手足というメタボ体型。その夜、テレビでやっていたフィギュア大会での西洋人アスリートの八頭身体型を見るにつけ、差を改めて痛感させられました。やはり日本人のダンスは日本舞踊、スポーツは流鏑馬ですね(笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月10日 (土)

商売繁盛で笹持って来い♪

標題のごとく、恒例の大阪は今宮戎神社の「十日戎」へ。

今夜と明日の天気予報が芳しくなかったので、宵宮の本日の参戦とあいなったわけです。

早い時間に行ったので、混雑は全然無く至って快適に難波からの道をすいすいと歩き、楽々と参詣を済ませ、笹を貰って、福娘さんに吉兆を結いつけてもらいました。

Ebisu1 (画像アップについては福娘さん了承済みです)

それにしてもせっかくのお美しい福娘さんなのに、小生の携帯のデジカメはあまりにもお粗末……他の性能は満足しているのですが、デジカメだけのために買い換えるのもねぇ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 4日 (日)

『天璋院篤姫』展

5月1日、大阪市歴史博物館で開催中の標記特別展へ。

Rekihaku Rekihaku2

少し雨がパラつく中、歴博はまぁまぁの混み方。

幕末薩長は小生の興味の対象外ということで、薩摩関係は流し見したわけですが、

幕府側の書状や遺物はなかなか興味深いものが沢山ありました。

図録を買って退散。

| | コメント (0) | トラックバック (0)