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2010年9月15日 (水)

封建君主とサラリーマン家臣の死

297年前の今日(新暦で)、尾張藩主・徳川吉通死去。数え25歳。

午後4時頃までは何も変わり無かったが、4時過ぎ頃に痛みを訴え始め、一旦小康状態となったが、夜中の午前2時頃になって重役が集められ、午後8時頃に逝去したと発表された、と『鸚鵡籠中記』の朝日文左衛門は記録し、「御玄関に火は無し、御廊下も暗闇にて、上を下へと返す」と、尾張藩江戸上屋敷の混乱ぶりを嘆いています。吉通の姫、これは姉の三姫か妹の千姫かは不明ですが、吉通の遺体にすがりついて泣き、気絶しそうな様子で、人に抱えられて引き取ったと文左衛門は続けますから、肉親の死の悲しみは殿様も庶民も同じなのです。

この将軍後継者候補の死で、尾張藩侍医の大野方庵が「畜生」呼ばわりされ、その肉を塩漬けにしてやろうかなどとまで憎まれているのはあまりに気の毒ですが、生きていればあるいは8代将軍は紀伊徳川の吉宗ではなく吉通がなっていたのかも知れず、そうなっていれば「暴れん坊将軍」も作られず、松平健もブレイクしていなかったかも知れない(笑)わけですから、尾張藩の人々が切歯扼腕したのもしかたありません。

ちなみに、同日、尾張藩では萩原近江守という家臣も死んでいます。
殉死かと思えばそうではなく、「御勘定済まざるゆえ」の自殺だったという事で、収支の計算が合わない責任をとった、という事でしょうか。
その子が3,700石の内、700石だけは相続させて貰っているのを見ると、近江守が不正をおこなったわけではなさそうですが、藩主の死の影に隠れてあまりにもサラリーマン的な死も有った、というあたりがいかにも近世といったところです。

※萩原近江守は幕府勘定奉行・萩原重秀の事とご教示を戴きましたので、当該部分を削除させていただきます。

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コメント

免毒斎さん
ご教示ありがとうございます。
言われてみればその通りですよね(笑)、
赤面ものの間違いでした。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

投稿: 橋場 | 2012年3月20日 (火) 10時02分

「ちなみに、同日、尾張藩では萩原近江守という家臣も死んでいます。
殉死かと思えばそうではなく、「御勘定済まざるゆえ」の自殺だったという事で、収支の計算が合わない責任をとった、という事でしょうか。」
これは事実誤認です。萩原近江守は荻原重秀といい、江戸幕府の勘定奉行です。元禄期の貨幣改鋳の張本人。3700石はともかく、近江守でピンとこないといけません。尾張藩でも国名官位をもらえる人物は数人なのですから。
朝日重章は、名古屋のことから江戸のうわさ話まで何でも記録しています。ランダムに無関係なことが繋がって書かれていますからご用心、ご用心。

投稿: 免毒斎 | 2012年3月20日 (火) 01時02分

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