【天地人】 第十八回「義の戦士たち」
下手すると周回遅れになりそうな(笑)。「15回も前の放送の内容なんて覚えてねーよ!」的な向きのために、あらすじはコチラ。
越中魚津城も落城間近。東越後の新発田重家の乱、信濃・西上野方面からも織田の圧力が強まり、上杉家は気息奄々。緊張感漂う春日山城で「御家老」と呼ばれる青くさい兼続。違和感バリバリですが、そんな兼続を訪れてくる男が。この男、志駄義秀は母親が直江景綱の娘という事ですから、兼続とは義理の兄弟(兼続の母を景綱の妹とする説をとれば義理のいとこでもある)「義理の叔父甥」と(兼続の母を景綱の妹とする説をとれば「いとこの子」でもある)にあたります。その義秀が与板から持参したのは、お船の文と髪。いきなりラブラブですねぇ、はしゃいでますねぇ、お船さん。亡き信綱がかわいそう(-人-)。
一方の織田側では、相変わらず無能な兼続を捕まえて信長と初音が「上杉には彼の者がおります」「惜しいのぉ」などと無理矢理持ち上げるシュールな会話を繰り広げています。こんな兼続、惜しくもなんとも無いでしょ(笑)。中国戦線では備中高松城水攻めの最中の羽柴秀吉が信長に手柄を譲って保身を図ろうと援軍を要請する事に。「信長殿」という宛名の書き方だけでもう保身どころか逆さ磔級の失態なのですが(^ー^;)。このあたりはお笑い番組級に笑いをとって来ますね、さすがNHKさん。
春日山城に、上野では滝川一益が、信濃では森長可が、それぞれ越後に向けて兵を動かしているという報せが入ります。これを聞いた兼続は「織田勢にあえて隙を見せ、領内深く入り込んだ所を討とう」と周囲に表明。この作戦の発案者でなければ魚津城を守る吉江宗信に降伏開城を納得させられない、とばかりに城内への使者役を買って出ました。
ところが、「上杉の侍として意地を貫く」と開城を拒否する吉江たち。ついに兼続は「これは殿の御意でごさいます」と極めつけの卑劣発言。嘘つけ、あんたが主唱者でしょうがよ(-"-;)。
あげくのはて、「一緒に死にます」と言ってもダメだしされ、相変わらずビービー泣いて諸将の後ろ姿を眺めるだけ。「我が力及ばず!」なんて景勝に見栄を切っていましたが、なんの事は無い、策に酔い策に溺れたみっともない頭でっかちにしか見えません。
景勝・兼続以下が悶え苦しんでいる「織田方が三方から攻め込み、景勝はそれを先読みしている」というドラマの設定は『北陸七国志』に「(柴田勝家が)四万八千余騎を相従え、滝川左近将監一益、森勝蔵長一(長可)と牒じ合わせ、越中に発向し、魚津の城を攻め動かす」「森勝蔵長一、大田切より、景勝の居城・春日山へ、乱入の由聞こえしかば、上杉景勝大いに驚き、天神山を引き払い、春日山に帰陣せらる」とあるように軍記物を参照したと思われます。『北国太平記』には滝川一益が三国峠で上杉勢に敗れたという記述もありますが、信長研究の大家・谷口克広氏は『織田信長家臣人名辞典』で「そんな余裕があったであろうか」と史実かどうかを疑問視しています。
実際に上杉軍がどういう行動を採ったのかというと、5月1日、八方ふさがりの状態に絶望した景勝は佐竹義重に「六十余州を越後一国で相支え、一戦を遂げ、滅亡する事、死後の思い出」と情けない内容の手紙を書いています。実際、5月6日に安部政吉らが魚津城から「願皆寺で寝返りが発生した」と景勝に報告しますが、織田側の調略はそういうローカルなものではなく前年に亡くなっている景勝側近の河田長親にまで及んでいました。長親はこの工作に靡く事は無かったものの、景勝はもう見限られつつあったと言っても過言ではないでしょう。そんな中5月15日に景勝は魚津城に臨む天神山城に出陣しますが、前田利家らと小競り合いをしただけで、結果として5月26日に越後に撤退し、6月3日魚津は落城します。宗信以下、耳たぶに穴を開けて名を書いた木札を結びつけ、首になっても上杉勢の名誉を保とうとして死んで行ったそうです。
こうして上杉家は越中における橋頭堡を失いましたが、これに似た事例を思い出しませんか?そうです、高松城水攻めと高天神城玉砕です。毛利軍は高松城籠城の清水宗治以下を見捨てる事ができず、最後は安国寺恵瓊が独断で宗治に切腹開城を説得しました。少なくともそういう体裁をとりました。それは、毛利家のために頑張っている国人領主の宗治を見捨てれば毛利家は盟主としての地位を失う、という自覚からです。反対に武田勝頼は岡部元信らが籠もる高天神城を見捨て、それを見た各地の国人領主が次々と武田家を見限って滅亡させました。勝頼は臆病とのそしりを怖れて東上野に兵を出したりしましたが、諸人は核心を見逃さなかったんですね。上杉軍も、魚津城を見捨てた段階で滅亡は既に決まっていたのです。
このドラマで兼続がとった「魚津に注目を集め、魚津の面々が全滅を覚悟しても予定通り撤退して越後に侵入した織田軍を撃つ」なんていう作戦は、目前で起こった勝頼の自滅から何も学んでいない下の下の愚策という事になります。本能寺の変が起こらず、信長が健在なら景勝と兼続は何もできず、周囲にも見放されて無残な最期を迎える事になったでしょうね、本当にこのドラマの兼続クンは漫画か何かのようにラッキーです。
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