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2009年1月18日 (日)

【天地人】 第三回「殿の初恋」

 今回から輝虎は謙信、喜平次は景勝と呼称が変わりました。
天正元年(正確にはまだ改元前の元亀4年=1573年)4月、上杉家の軍議の席で玉鉄演じる三郎景虎を「景虎は謙信のもう一人の養子でございます」と紹介していましたが、正確には養子はあとふたりいます。うち、山浦国清はまだいいとして、上条政繁を無視すると六年後の「御館の乱」の時困った事になるような気がしますが、それは後のお楽しみでしょう。
 軍議の席で越中の諸将から一揆蜂起のSOSが来ている、との情報に、越中からさらに京へ、と進言する兼続。これに対し、大義名分を唱え慎重論を具申する景虎。「義の人」謙信も当然(笑)景虎案を採ります。「我が殿の考えにございます!」と高らかに言い放った兼続はガッカリ、景勝は赤っ恥。う~ん、軽いですねぇ。

 その後、街中を歩く兼続と久秀は、直江景綱の娘・お船と劇的な出会い方をします。暴れ馬を手品のように御したお船の件については、あんなにサラリと手なずける事が可能なのかという話は置いておいて、あのような、烈女というに近いお船は小生のイメージに近いのでアリです(笑)。兼続って、この3歳上の女性に半生を尻に敷かれて過ごしたと思うのですよ。それに常盤貴子の声って、深窓の令嬢というよりもこういうちょっと蓮っ葉な姫の方が向いていますね。何年か前の民放ドラマ「流転の王妃・最後の皇弟」で愛新覚羅浩役を演っていたのを見てそう思ってましたが、今回その意を深くした次第です、はい。
 ここでは、それよりも暴れ馬の騒ぎになる前に兼続と久秀が歩いていた背景に映る橋に、「擬宝珠」がついていた事に興味を惹かれました。そう、あの、橋の欄干の柱のてっぺんについたドラクエのスライムのような形の保護飾りです。あれって、朝廷の許可が要るんじゃなかったでしたっけ?まぁ、謙信(及びその父・兄)は朝廷にもかなり接近していましたから、許可を貰っていたのかも知れません。しかし、ドラマはきっとそこまで考えて作ったんじゃないでしょうね(^ー^;)。

 越中への出陣祝いの宴席で景虎の能の舞いを見て一目惚れする華姫(景勝の妹)。この「華」は法号の「華渓院」から連想した架空の名です。華やかな戒名からは想像できないほど悲惨な死に方をする華姫ですが、その運命の第一歩がこのシーンとなるわけです。
 そしてこの間の4月12日、武田信玄が遠征途中に死亡しています。兼続は川中島で武田の軍勢を見た際に「何故武田の軍勢が川中島にいるのか、本来なら都を目指し三河あたりにいるべきなのに」といぶかり、「信玄腹心の高坂(正確には香坂)昌信(春日虎綱)が川中島にいるのはおかしい。信玄は死んだのではないか」と謙信に推論を述べていましたが、結果としては正解でも高坂うんぬんは無茶な理論です。なぜなら高坂は対上杉の先鋒として海津城を守る立場であり、三方ヶ原の戦いには参陣したものの、その後の信玄の西上にはハナから参加していないのですから。あるとすれば、信玄の西上の隙を狙って北信濃を窺うかもしれない上杉氏に備えて、示威的行動として川中島あたりを軍事的に散歩した、というところでしょうか。
 その後、信玄の死は確報として謙信の元にも届きます(実際には二ヶ月ほどかかったようですが)。ドラマでは謙信が箸を投げて好敵手の死去を惜しんだという「美味しい」エピソードは使っていませんでした。それどころか琵琶を弾じて想いにふけっていましたね。しかし、『松隣夜話』によれば謙信はこの時越後の府中における武士の家には三日間の音曲を停止し、信玄死去を弓矢神に悼んでいます。音曲を禁じた当の本人がこれでは困ってしまいますね。
 もっとも実際の謙信は書状で「信・甲取乱(中略)然るべき時節」(信濃・甲斐の混乱によって絶好の機会が訪れた)、「この時節を遁され候えば、信・甲において一切有るべからず候間、信長へ諷諫有り、急度お手合わせに及ばれ」(この機を逃せば信濃・甲斐方面の経略は今後一切成功の見込みは無いから、信長に運動して必ず連合して)ともに武田を攻撃しよう、と織田・徳川に言い送っていますから、琵琶どころか笛や太鼓で信玄の死を祝っていてもおかしくはありません。

 続いて場面は景勝単独の出陣の酒宴の場になります。兼続、ボロボロ泣いてましたが、吉凶に敏感な当時の出陣式の場で涙を流すなど縁起でもないです(笑)。景勝も「まるで通夜のようじゃ」と言ってましたが、笑って済ませるような事ではないでしょう。手討ちになっちゃいますよ。そしてなんとか立ち直って鬨の声で景勝を見送る兼続ですが、ここもダメダメ。「えいえい、おー!」は、「えいえい」と主将がまず発声し、これを受けて家臣たちが「おー!」と応えるものであって、兼続がひとりで「えいえい……」とやってしまっては、ここでも手討ちになっちゃいます。命がいくつ有っても足りません。

 それにしてもよく泣く兼続、最後は母の手紙でまた号泣しておりましたが、考えてみるとこういう情けない泣き顔を、かつての大河(に限らずドラマ全般)の主人公はしませんでした。昨今、「男が泣く」風潮が、プロ野球のヒーローインタビューなどを見ても一般的となっているようですが、だからといって「泣き虫、与六」を否定するつもりはありません。当時はのちの時代と違って感情表現が直接的で豊かな時代だった筈ですから、こういう手放しの泣き方をする男も沢山いたのではないでしょうか、ね。
 しかしこの妻夫木兼続、その話し方も軽い感じがする上に東幹久演じる泉沢久秀と並んでもかなり背が低いのですね。
wikiによれば彼の身長は172.5cm。まぁ現代日本人としてはそこそこというところでしょうか。これに対し東幹久は183cmとなっていますから、画面上でも明らかな差が出るわけです。兼続は江戸時代の史料では「大男で、ハンサムで、百人の男の中でも飛び抜けた風格」の持ち主だったと紹介されていますが、その点では妻夫木兼続は全然それっぽくないですね。

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