「風林火山」(5)
すっかり遅くなってしまいました。
雪斎禅師役の伊武雅刀さん、いい味出してますねぇ、
信虎との交渉シーンでのとぼけた猫なで声なぞ、えもいわれません(笑)。
とてもついこの間「のだめカンタービレ」で中華屋のオヤジやってたとは(爆)。
思えば、「スネークマンショー」なるLPレコードで彼のコントを涙を流して笑いながら聴いたのは今から30年ほど前。
時の流れは速いもので、その彼が雪斎を演る事になるとは思いも及びませんでした。
閑話休題。
今回、勘助は今川家に間者として入って福島越前守と彼が担ぐ花蔵殿による「花倉の乱」に関与する事になります。
この花倉の乱、武田側の史料では、
「駿河ノ屋形御兄弟死去被食(めされ)候。去程ニ其年六月八日花倉殿福嶋一門皆相模氏縄(北条氏綱)ノ人数カ責コロシ被申(もうされ)候」(『妙法寺記』)
「今川氏照(氏輝)同彦五郎同時ニ死ス。同五月廿四(二十四)日夜氏照ノ老母福島越前守宿所ヘ行、花蔵と同心シテ翌廿五日従未明(未明より)於駿府(駿府に於いて)戦、夜中福島党久能へ引籠ル」(『高白斎記』)
と記録されています。
ドラマではこの乱に当初関わろうとした武田信虎は、雪斎による外交駆け引きで懐柔され福島一派を見捨てると描かれていましたが、甲斐はこの前後、地震・強風・大雨の被害と疫病の流行で深刻な打撃を受けており、その時期、しかも農繁期に武田家が本当に駿河への出兵を一時は企画していたかは慎重に考えなければならないところでしょう。
ドラマでは福島越前守が氏輝・彦五郎の兄弟の死に深く関わっている事を匂わせる筋立てになっていましたが、ここも要注意。
梅岳承芳(のちの義元)を伴って雪斎が京から駿河に帰って来たのが天文四年末~五年初の事で、その直後に二人の兄が死んでいるのです。
この絶妙のタイミングは、推理マニアにはたまりませんね(笑)。
(一応梅岳と雪斎の駿府帰国は氏輝が与党(多数派工作)強化の為に弟を呼び寄せたものだとは思いますが。)
おまけに、今川家の系図の内のひとつには、
「為氏輝入水、今川怨霊也」(「浅羽本系図」)という記述すら有ります。
氏輝の死因が入水、つまり自殺だというのですから謎は深まるばかり。
時代は10年さかのぼりますが、「今川仮名目録」という今川家の家内法の中に「三浦・朝比奈以外の家臣の席次はこだわらずに都度適当に決めろ。くじびきも良い」というのがあります。家臣団の中での勢力争いが結構激化していた事をうかがわせる内容で、福島氏や雪斎の実家の庵原氏などの動向も併せて考えると興味深いですね。
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コメント
年明けてお返事遅くなりましたが、橋場先生の大河ドラマ評、毎週楽しく読んでいます。僕のほうも名前のアドレスで毎週日曜に大河ドラマのコメント書いています。時々参考にさせてもらっています。今後ともよろしくお願いします。
投稿: ぶるぼん | 2007年2月 7日 (水) 02時34分