2010年2月 9日 (火)

無駄な時間

サイボウズ社の青野社長「私は歩いていて赤信号に引っかかると人生を1分損したと思うが、サイボウズモバイルKUNAIがあれば、その間、決裁なども行えて時間が無駄にならない。オフィスのエレベータを待っている間も同じ。日本人は生産性が低いといわれるが、これが解決できるツールになる」http://japan.zdnet.com/news/software/story/0,2000056195,20408245,00.htm

これは同社のモバイルグループウェアの発表会における発言ですが、もう、ね。赤信号の1分を人生の無駄と考える人種っていうのは、どうなんでしょう。無駄な時間って大事だと思うのですよ、小生は。
思えば、新幹線の開通によってサラリーマンは1泊2日の出張が日帰り出張になり、ポケベルの普及によってどこにいても呼び出されるようになり、携帯電話の普及によってどこででも会社や得意先と直接リンクされるようになり、GPSの普及によってどこにいるかすら把握されるようになりました。サラリーマンの「無駄な時間」というのは、この半世紀弱の間に限りなくゼロに近づいています。
その結果、「生産性」はあがったのでしょうか。
現状を見る限り、リストラの結果残された一部の「優秀な」サラリーマンに全ての負担がのしかかり、ブロイラーのように黙々と目の前の仕事をこなすだけでとても高度成長期の様な「生産性」、それに目を見張るような「独創性」を生み出す余裕は無いようです。無駄な時間を持って少し立ち止まり、少し違う世界、違う価値観に触れてみる事も大事な事だと思います。かつて覇権を誇ったイタリア(ローマ帝国)やスペインなどが、今では生産性の低い国と言われながら、それでも国民は陽気で、世界的にもそれなりの存在感を認められているのは何故か、日本人が「生産性」に追い立てられて疲弊しきり、金属疲労でポッキリと折れてしまった時、それでも日本は世界から存在感を認めてもらえる「何か」を持っているんでしょうか。
その時この若き経営者は何を思うんでしょうか。

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2010年2月 6日 (土)

いろいろ

たまには仕事のご報告もしておかないと!

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先月末に発売となった『歴史読本 3月号』(新人物往来社)です。「戦国武将の美学」のうち、織田信長・伊達政宗・上杉景勝を書かせて戴きました。ちょっと妄想入ってる系の文章になりましたが、単なる一代記っぽいものは書きたくなかったのです。そこそこ個性は出せたかな、と考えています。
桐野作人先生の「信長 狂乱と冷徹の軍事カリスマ」連載第27回と「薩長同盟はどこで結ばれたのか」も掲載されています。

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こちらは昨年末に刊行されていた大河関連本、『図説 幕末土佐の群像』(学研)。「土佐と弘法大師伝説」「城下町の繁栄」「土佐と伊達騒動」「堺事件」「播磨屋橋物語」「土佐の学問 谷家」「土佐の学者たち」「細川半蔵とからくり人形」の他に、メイン記事の幕末関連「山内容堂登場」「吉田東洋の登用」「山内容堂蟄居」「一領具足たち」「山内忠義と野中兼山」「改革と郷士の登用」「野中兼山の失脚と野中婉」「武市瑞山と土佐勤王党」「吉村虎太郎と天誅組」「中岡慎太郎と薩長の志士」を執筆させて戴いております。登場する人物のセリフを土佐弁で書いたのですが、少し難解な文章は標準語に直させられました(笑)。

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最後はブルボンクリエイションの小出様からご恵贈を戴いた本。『坂本龍馬創世伝』(メディアボーイ)です。いつもながらカラフルで地元密着の情報に富むムックで、居ながらにして旅行気分が味わえます。ご厚意に感謝します。

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2010年2月 3日 (水)

恵方巻き

恵方巻きを食べた。その来歴についてはwiki参照。参照。では、江戸時代、翌日の立春には大阪人はどうしたかと言うと、白味噌仕立ての豆腐の味噌汁、塩鮭、麦飯、とろろ汁を食べる風習があったらしい。

ってな事をひさしぶりに書き散らしてみたりして。おまけにtwitterに書いたものの再利用だったりして(笑)。

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2010年1月25日 (月)

TWITTER

おひさしぶり。

標題の通り、TWITTERというのを始めてみました。

まだ面白いのかどうかもさっぱりわかりませんが、iPhone用のTWITTERアプリをダウンしたのでその勢いで(^ー^;)。

まぁ、まったりと慣れていくつもりです。

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2009年12月 9日 (水)

南森町界隈

昨日は天六に行く用事があり、その前に手前の南森町で下車。

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Dさんに10年以上ぶり?で再会。ニフティサーブ時代の友人で、現在は南森町のフリースクールの先生をしておられます。スクールのHPはコチラ。優しそうな先生でしょう?(ブログアップはご本人のご了承を戴いております)

実はこのDさんの件は、mixiで別の友人が発見されたのを日記で拝見、慌てて連絡をとったものです。まぁなんて便利なネット社会(笑)。

で、しばしの歓談のあとはその並びにあるお寺3つを徘徊。

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善導寺さんでは、上掲の山片蟠桃のお墓と、

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近藤宗悦のお墓を拝見。

山片蟠桃は「夢の代」の著者として有名で、商家の番頭だった事から雅号を「蟠桃」ともじってつけたという、如何にも大阪的な人物。といっても、その人となりはかつての大阪商人らしく身持ち固く真面目で、仙台藩の財政再建を果たした手腕が光ります。その哲学も実学一途、当時としては異彩を放つ「無神論」もそういった実務優先、合理性追求から生まれたものだったでしょう。

近藤宗悦の方は、小生もは知らなかったのですが、お寺の碑を見ると長崎出身で地元では「チャルメラ宗悦」と呼ばれるチャルメラ演奏の名手だったとか。今ではチャルメラというと某インスタントラーメンか屋台のラーメン屋さんを連想するだけですが、当時は「唐人笛」と呼ばれ幕末の長崎でもモダンな楽器だったようですね。で、そのチャルメラ吹きの宗悦さんは京・大阪で尺八演奏に転じて有名となり、「三曲」の創始者となった、と。この三曲、ネットで調べるとこういう事らしいです。
この宗悦さん、幕末の動乱の歳には勤王党の一員となり、天誅組の乱などで連絡役として活躍したとかで、お寺の碑にも「幕末勤王志士」と銘記されています。虚無僧姿で奔走したそうですから、得意の尺八も当然アイテムとして携えての活動だったでしょう。さぞや素晴らしい音色を響かせながら働いただろう、と興をそそられます。慶応三年の示寂ですから、あと1年で維新の大業成るのを見られたのに、残念でしたね。

そのあとは、竜海寺の緒方洪庵墓。

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奥様と並んで立派なお墓に眠っておられます。お優しそうな寺の奥様に、テレビドラマ「仁-JIN-」が人気ですが見学者は増えていますか、とお尋ねすれば良かったです(笑)。

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お寺の室外機の上でお昼寝していた幸せそうな猫ちゃん。

最後は成正寺の大塩平八郎父子の墓です。

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ここで南森町をあとにし、本来の目的地である天六へ。

「住まいのミュージアム・大阪くらしの今昔館」を観に行ったのですが、休館日というオチ付きでした。ハハハハハハ…。

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2009年12月 3日 (木)

【坂の上の雲】第1回補足

書き忘れた事。

食べ物の話なんですが、真之がいっつも炒り豆をポリポリ食べていました。原作でも彼の炒り豆好きは紹介されていましたが、ドラマではやけに強調してますね。この炒り豆、クライマックスの日本海海戦でも登場する筈で、決戦前の緊迫した場面を解きほぐす演出がされるに一票。

で、食べ物といえば、で真之たちの故郷・松山つながりでご紹介。

http://www.matsuyamaage.co.jp/

松山あげ。ふわふわでこくのある油揚げです。我が家ではこれが無くては始まらないほどの人気。うどん、味噌汁、おひたし等など、何に使っても絶妙ですぞ。なお、回し者には非ず(笑)。

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2009年12月 2日 (水)

日本エ○サー

昨年9月、量販店にて日本エ○サーのモニターとNECのPCをオニューで買いました。

最近、モニターが故障した(通電しているのですがPC起動時に一瞬画面が映るだけですぐブラックアウト)ので量販店の保証を使い修理に出す(メーカーの1年保証が切れた翌月に故障w)と、「修理代金約5万円(内2万円は保証内で量販店が負担)かかります」との事。内訳はLCDパネル+交換技術料+消費税。

実はこのモニターの小生購入価格は3万円で、同社のHPを見てもディスコンになったという事もなさげ。おまけに同製品を売っているショップの金額を見ても小生が買った価格以下。それでなんで修理代の方が高いのかが腑に落ちず、量販さんも「確かにおかしいですね」と言う始末。それから2回、ひと月の間に同社にメールで問い合わせをしましたが、梨のつぶてです。ちなみに、量販さんも「メールの対応が遅い会社ですよ」と言うのですが、いい加減な会社であればなおさら文書でやりとりを残したいではないですか(笑)。量販さんからも「回答せよ」と側面射撃をして戴いておりますが、どうなります事やら。

まぁそんなわけで、ネットでもあまり評判のよろしくない同社が「タイマー設定しておいて保証期間直後に発動させ販売価格より高い修理価格で利益を出そうとしているのくぁっ!?」という小生のゲスの勘ぐりが当たっているかどうか、今後なにか動きがあればまた報告させて戴きたいと思います。

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2009年11月30日 (月)

【坂の上の雲】第1回「少年の国」

司馬遼太郎先生の原作は昔何度も読み返したものですが、最後に読破したのはいつの事だったでしょうか。今回、NHKがスペシャル大河として制作したものを、内容を思い出しながら観ています。

第1回を観て思った事。「NHK、やればできるじゃん」(笑)。
「天地人」のひどさは、ついに途中でブログも放棄してしまうほどでしたが、「坂の上の雲」はまったく別次元。「司馬史観」と揶揄して嫌う向きもいらっしゃいますが、やはり原作の「見せ方(読ませ方)のうまさが、映像化されても生きています。恥ずかしながら1時間半、涙腺がゆるみっぱなしだったのは、「天地人」の薄っぺらで何の裏付けもない「義」や「愛」とは異なり、時代の熱気や人々の純朴さ(むろん、盲目的に時代の「正義」を肯定しているという危ういものではありますが)がしっかりと説明できていたからでしょう。特に、兄弟の父・秋山久敬が、職掌上知りうる学費不要の大阪師範学校の件や、旧松山藩の奨学金制度を息子たちに教えたり利用させたりは頑としてしなかった点は、公私を厳密に区別する士族、明治人の気骨としてもっと前面に出していいエピソードでは無かったでしょうか。まぁ、その頃明治政府の上層部は汚吏貪官の巣となっていますから整合がとれないし、それでなくても過去の背任横領事件などでミソをつけたまんまのNHKとしてはサラリと流したいのかも知れませんが。

ともあれ、これなら3年間しっかりと楽しみに見続けられそうです。

技術的には、こちらで紹介されていた「カラーグレーディング」という処理による映像の色彩調整が見事でしたね、屋内の埃っぽい黄色強調とか、大原観山の葬列のシーンでのシアン一色の中での菜の花のイエローとか(この場面は司馬氏へのオマージュかと少しニヤリ)。

ところで、好古が大阪に行ったのが明治8年、真之が上京したのが明治16年。正岡子規の学友・夏目漱石(ドラマでは小澤征悦が演じるらしいですね)が『坊ちゃん』を発表するのが明治39年。このドラマでの松山人の描かれ方と『坊ちゃん』とのそれは大きく乖離していますが(笑)、やはり田舎ならではの閉塞感というのはあるんでしょうね、秀才たちはそういう息苦しさからも脱出したくて「花のお江戸」「末は博士か大臣か」を目指したのではないでしょうか。あと、真之上京の年であれば大学予備門英語教師の高橋是清はまだ数えで30歳。もみあげに白いものの混じった西田敏行の是清はいくらなんでも可哀想かも(それを言ったら冒頭の秋山家の両親も老けすぎですが(笑))。

秋山兄弟の寄宿先、旗本佐久間家の屋敷は現在の千代田区五番町。ドラマ中でも佐久間家老女のよしさん(篤姫で「女の道は一本道!」ってやってた佐々木すみ江さん)が「来る途中の三宅坂に立派な建物が見えたでしょう」と言っていた陸軍大学校は永田町にあり、この年4月に参謀本部の跡地に開設されたばかりです。つまり真之の上京はそれ以降。一方、好古がかつて在籍した士官学校は市ヶ谷にありました。五番町からですと、皇居外堀を挟んでほぼ真北ですね。現在は自衛隊の駐屯所ですが、当時も今も市ヶ谷台の高地にあるので、よく見える場所です。

最後の方、巡洋艦「筑紫」がイギリスから納品される場面では、本来この艦がチリ発注のもので、契約のゴタゴタで日本が横合いから買い取ったというようなうんちくが原作にはあった筈です。写真を見ると、ちっちゃいちっちゃい船ですねぇ、「砲艦」程度の。

以上、つらつらととりとめもなく書き連ねましたが、雑感という事で。

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2009年11月29日 (日)

白浜温泉

に、行って来ました。

昔と違って高速道路が近くまで出来ていたので、わずか2時間半の行程です。

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三段壁。

傍らの建物を入ってエスカレーターで下まで降りると「熊野水軍の船隠し」の洞窟を見られるのですが、1,200円を惜しんで(笑)入らず。

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千畳敷。

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白良浜の真ん前にあった有間皇子の碑。大化の改新直後に悲劇的最期を遂げた皇子ゆかりの地です。

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宿から見た白良浜の夜景。命の洗濯でした。

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2009年11月28日 (土)

「豊臣期大坂図屏風」(5)

その四。

高麗橋(秀吉が大坂城の外堀の機能を持たせた東横堀川に架けた橋)の上の掘っ立て小屋の中で銀と銭の両替をしている商人がいるなぁ…。城での商売で銀決済で売掛金を回収した商人たちがここで両替して高麗橋の向こうの町屋で使うのかな。たぶん町屋の中でも両替商はいたんだろうけど、いち早く客をつかまえる為に橋の上にまで出張って来て商売してたんだろうか。逞しいねぇ(笑)。

その下、橋の西詰では女性がふたり、川の水を汲んでいる。図録の説明では地下水が塩分を含むため飲用水を川に依存した、とあるけど、それはそうかも知れないがこの画ではその上に「うどん屋」さんが描かれてるんだよね(笑)。これって、うどん用の水じゃないかな。今でも讃岐うどんが水を大量に必要としてるのに夏の渇水で危ない、なんてよくニュースで流れてるもんね。

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